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鬼が城の伝承

その昔、桓武天皇(737~806)の頃、この地に隠れて熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊多娥丸(たがまる)を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂(751~811)が征伐したという伝説が残っています。その伝説に基づいて鬼の …

月を咥える鬼が城~三重支局より

月の出は16:07なんだけど、鬼が城を越えて雲間から現れたのは16:35だった。 白い月だと趣がないのだが、少しオレンジがかって何とか写真になったかな! 今日も、カメラマンの数は多く殆どがリピーター、顔馴染みも結構多い。 …

小口自然の家に外国人観光客が殺到!

昨年、関東在住の友人が熊野古道を歩き小口自然の家で一泊した際に、外国人観光客が思いのほか多かったという話を聞いたことがある。小口自然の家は、廃校となった小口中学校を利活用しているもので、熊野古道の「大雲取越」と「小雲取越 …

太地町の捕鯨の歴史~⑫捕鯨の仕事由来の名字

捕鯨の仕事の中で、海に出てくじらと格闘する漁師たちの仕事は、いわば花形であろう。しかし、海には出ずに陸上でやらねばならない重要な仕事もたくさんあったのである。 事前にくじらを発見する役を担う山見での仕事としては、見張り役 …

太地町の捕鯨の歴史⑪~太地の「洋上くじら踊り」

くじらの町として全国にも知られる太地町では、地元保存会が中心となり伝統芸能の保存活動に積極的に取り組んでいる。毎年8月14日に行われる盆供養花火大会には、花火の打ち上げ前に、「洋上くじら踊り」と「鯨太鼓」が披露される。 …

太地町の捕鯨の歴史⑩~伝統芸能「くじら踊り」

志摩半島の南部の北牟婁郡海山町紀伊長島町が串本から潮ノ岬を通って紀ノ川流域の北の和泉山地までの広大な紀伊半島南部を紀伊の国といい、紀州徳川藩の領地であったが、その中で紀伊藩を監視するように譜代大名の水野氏を置いた。 紀州 …

太地町の捕鯨の歴史⑨~くじらの博物館

約1000点にもおよぶくじらの生態や捕鯨に関する貴重な資料を保管、展示する「太地町立くじらの博物館」。くじらに関しては世界一のスケールを誇る博物館として、捕鯨人たちの偉業を後世に伝えると共に、国際的な研究の場となることを …

太地町の捕鯨の歴史⑧~熊野に納められた古式捕鯨図

熊野は富士山、熱田神宮と並んで日本の蓬莱信仰の三大対象地であって、また、神武天皇が八咫烏の先導により、大和の橿原宮に入った時に、入跡したところでもあり、霊験あらたかな土地柄である。そして、くじらは古事記の神武天皇の条に久 …

太地町の捕鯨の歴史⑥~復元された捕鯨史跡

日本で最初に鯨油を用いた燈明灯台、寛永13年(1636)に建てられた「東明崎」もまた山見の置かれた場所だった。かつて太地崎などと呼ばれたが、灯台ができて明かりが灯されるようになると「灯明崎」になり、今では、東にあるこの岬 …

太地町の捕鯨の歴史⑤~遭難者とくじらの供養塔

明治11(1878)年、の「大背美流れ」事件は、船をほとんど失い、百人余りの漁師が亡くなるという、太地捕鯨の歴史の中で最も大きな事件であった。この時の遭難者の供養のための供養塔「漂流人記念碑」が、太地漁港を見下ろす旧県道 …

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