太地町くじら館
太地町の捕鯨の歴史~⑫捕鯨の仕事由来の名字
2017年5月22日 名字の秘密太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報豆知識
捕鯨の仕事の中で、海に出てくじらと格闘する漁師たちの仕事は、いわば花形であろう。しかし、海には出ずに陸上でやらねばならない重要な仕事もたくさんあったのである。 事前にくじらを発見する役を担う山見での仕事としては、見張り役 …
太地町の捕鯨の歴史⑪~太地の「洋上くじら踊り」
2017年5月21日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
くじらの町として全国にも知られる太地町では、地元保存会が中心となり伝統芸能の保存活動に積極的に取り組んでいる。毎年8月14日に行われる盆供養花火大会には、花火の打ち上げ前に、「洋上くじら踊り」と「鯨太鼓」が披露される。 …
太地町の捕鯨の歴史⑩~伝統芸能「くじら踊り」
2017年5月20日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
志摩半島の南部の北牟婁郡海山町紀伊長島町が串本から潮ノ岬を通って紀ノ川流域の北の和泉山地までの広大な紀伊半島南部を紀伊の国といい、紀州徳川藩の領地であったが、その中で紀伊藩を監視するように譜代大名の水野氏を置いた。 紀州 …
太地町の捕鯨の歴史⑨~くじらの博物館
2017年5月19日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
約1000点にもおよぶくじらの生態や捕鯨に関する貴重な資料を保管、展示する「太地町立くじらの博物館」。くじらに関しては世界一のスケールを誇る博物館として、捕鯨人たちの偉業を後世に伝えると共に、国際的な研究の場となることを …
太地町の捕鯨の歴史⑧~熊野に納められた古式捕鯨図
2017年5月18日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
熊野は富士山、熱田神宮と並んで日本の蓬莱信仰の三大対象地であって、また、神武天皇が八咫烏の先導により、大和の橿原宮に入った時に、入跡したところでもあり、霊験あらたかな土地柄である。そして、くじらは古事記の神武天皇の条に久 …
太地町の捕鯨の歴史⑥~復元された捕鯨史跡
2017年5月16日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
日本で最初に鯨油を用いた燈明灯台、寛永13年(1636)に建てられた「東明崎」もまた山見の置かれた場所だった。かつて太地崎などと呼ばれたが、灯台ができて明かりが灯されるようになると「灯明崎」になり、今では、東にあるこの岬 …
太地町の捕鯨の歴史⑤~遭難者とくじらの供養塔
2017年5月15日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
明治11(1878)年、の「大背美流れ」事件は、船をほとんど失い、百人余りの漁師が亡くなるという、太地捕鯨の歴史の中で最も大きな事件であった。この時の遭難者の供養のための供養塔「漂流人記念碑」が、太地漁港を見下ろす旧県道 …
太地町の捕鯨の歴史④~和田一族の墓
2017年5月14日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
太地捕鯨の歴史は、そのまま和田一族の歴史でもある。和田一族の菩提寺「順心寺」には、一族代々の墓が建ち並び、日本で初めて突取法により捕鯨業を始めたとされる和田頼元の墓もあるが、中でも最も大きな五輪塔の初代角右衛門頼治の墓か …
太地町の捕鯨の歴史③~古式捕鯨から近代捕鯨へ
2017年5月13日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
遭難事件によって一度は終焉した太地の捕鯨であったが、生き残った人々の手で細々と捕鯨が再開された。わずかに残った古式捕鯨の道具をもとに捕鯨を再開する者や、外部の資本家の力を借りて再開する者もいたが、期待する成果は得られなか …
太地町の捕鯨の歴史②~「背美流れ遭難事件」と鯨方の終焉
2017年5月12日 太地町くじら館熊野・新宮の歴史雑学観光情報
日本の捕鯨場が大きな打撃を受けるさなか、太地では追い打ちをかける悲劇が起こった。明治11(1878)年12月24日の午後に「子連れのセミクジラ発見」という報せが鯨方の総指揮者である和田、太地両家に伝えられた。 季節性の大 …



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