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熊野・新宮の歴史雑学

熊野速玉大社

JR新宮駅から商店街を通り抜け、国道42号線を約15分歩くと熊野川縁の熊野速玉大社(新宮大社)に着く。当社の社殿は明治16年(1883)に火災で焼失した。そのため、昭和28年(1953)に再建された際に社殿構成が大きく改 …

和歌山県の民話・伝説⑦徐福ものがたり

あんのう、がいな昔のことやけど。シナの国に秦の始皇帝ていう、どえらい王さんがおったんや。がいに力の強い王さんでのし、六つの国を攻め滅ぼいてしもて、 「わしがこの世の中で一番偉い王さんや」 て、そらあもう、ごっつうえらばっ …

紀州人・熊野人気質

司馬遼太郎は、髙田屋嘉兵衛を描いた小説「菜の花の沖」の中で、大阪ー江戸の太平洋航路の中継港として栄えた新宮港(池田港)について書いており、同時に、新宮人の気概についても次のように触れています。   熊野炭は、江 …

和歌山・千葉両県に共通する地名

房総半島に「勝浦」や「白浜」という地名を見つけると、懐かしく思う関東在住の紀州人は多いと思います。和歌山・千葉両県の海岸地方には同一の地名がたくさんあります。 これは、ただの偶然の一致ではなく、千葉県と和歌山との歴史上の …

銚子市と紀州

今日も紀州漁民の足跡を残す銚子市 銚子市は現在人口75000人、魚の町、漁港の町、醤油の町です。平成17年度に銚子漁港に水揚げされた魚の数量は215,071トンで日本一でした。金額では約704億円で13位です。数量が1位 …

イワシ漁の発展は綿にあり!

木綿が輸入から国産化に 古代から、日本人の衣服や寝具の材料は、貴族は絹、庶民は麻などであり、今日普通に使われている木綿が普及したのは、16世紀の後半になってからでした。麻などの繊維は丈夫でしたが肌触りが悪く保温力がないこ …

西宮久助の漂流

弘治元年(1555年)のある日、九十九里浜の沖は昨夜までの嵐でまだうねりが高かった。折からの暴風雨で流されたと思われる一隻の難破船が剃金浦に漂着した。そして、たった一人生き残っていた男によると、彼は西宮久助といい、漁に出 …

ペリーより早く日本に寄港した米国船があった!

寛政3年(1791)4月4日、アメリカの商船レディ・ワシントンとグレイス号の2隻が、紀州の大島樫野浦に寄港した。ペリー提督が来航する62年も前である。 紀州藩の記録では、アメリア船は中国との交易船で、たまたま風浪に遭って …

弁慶は紀州田辺の出身だった?

「判官びいき」という言葉があるように、世に源義経ファンは多い。その義経を語る時に忘れてならないのが武蔵坊弁慶だ。弁慶は、歌舞伎「勧進帳」などでは源義経に付き従う知勇に優れた忠節なる法師として登場する。いったい武蔵坊弁慶と …

漁法と共に紀州から房総に伝わった方言

徳川宗賢・W・Aグロータース編「方言地理学図集 (1976年)」によると、紀州も房総も共通に洗濯をセンダクと濁って発音し、唐辛子をトウガラシ、またはトンガラシと、薬指をベニサシイビまたはベニツケユビと言います。 江戸時代 …

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