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文化と歴史

源平合戦の勝敗を決めた熊野水軍!

紀伊半島は広大な海岸線を有しているが、平野部が少なく、山が直接海に入るような地形のところが多い。山がちの地形なので、物資を陸上で運ぶのは不便であり、海上輸送が重視された。 また、複雑に入り組んだリアス式海岸のところも多く …

紀州みかんが江戸市場を席巻した!

高校を卒業し、新宮を出てから50年間いろいろな土地に住んで暮らしたが、どこにいても毎年、故郷の母親から送られてくるのはみかんだった。オレンジの自由化以降、アメリカからはみかんとは違う味の「オレンジ」が入ってくるし、ぽんか …

紀州備長炭の歴史

東京の居酒屋などで焼き物を食べるとき、備長炭が使われていることがよくある。店主は「うちは備長炭を使っています」と自慢するが、こちらは紀州生まれだ、故郷の特産品が使われていることを誇りに思う。その昔、遠距離輸送のメインは海 …

トルコのエルトゥールル号は何故日本に来たのか?

以前、125年前に串本沖で起きたトルコ船エルトゥールル号の海難事故がきっかけで誕生した串本町トルコ文化協会のことを紹介しました。トルコといえば、アジアの西の端の国でヨーロッパとアジアを繋ぐ位置にあります。そのトルコが、何 …

西行は紀州出身だった!?

以前、西行について語られている落語「西行 鼓ヶ滝」があるとお伝えしましたが、歌人として名高い西行が、もともとは武士であったことは知られていても、紀州出身だったことは意外と知られていません。西行の俗名は、佐藤義清(のりきよ …

村人を救って教科書になった~濱口梧陵

震災時にはまず生命の安全を確保すること、そのためには正確な情報を速やかに伝達することが何よりも大切だ。梧陵の沈着にして果断な行動から得られる教訓はこれに尽きるが、彼の偉業はやがてラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の知るとこ …

紀州広村の村人の命を救った~濱口梧陵①

安政元年(1854年)、11月5日、午後4時頃、前々日の安政東海地震に続き、安政南海地震が発生した。震源は紀伊半島から四国沖、マグニチュード8.4-8.5、最大震度6-7(新宮など)と推定される巨大地震である。 その夜、 …

醤油発祥の地は湯浅!?

皆さんの家庭では、普段どんな醤油を使っていますか。キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタ・・・。我が家は、昔からヤマサ醤油のファンです。そのヤマサ醤油の起源は和歌山県の湯浅にあることをご存知ですか。その味が好きで長年使ってきた醤油 …

三輪崎の鯨踊りについて

鯨といえば太地と誰もが思い、まさか新宮が関係しているとはご存知ない方も多いのではないでしょうか。和歌山県の無形文化財であった「三輪崎の鯨踊り」が、去る4月に日本遺産として認定されました。そして、昨9月18日、認定後として …

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